なぜ「生きづらい」のか? of 人間関係・依存症・うつ・恋愛・摂食障害・人生心理相談|赤坂カウンセリングセンターfiore

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深層心理で

「生きにくい」感覚は、「見失われた自分」「隠された自分」がふだんの自分に気づいてもらいたくて、ストライキを起こしているサイン

 私たちはどうして「生きづらさ」や自分に対する「面倒くささ」を感じることがあるのでしょうか?
その理由は2つあります。
 1つは、こうです。成長の過程でいろいろなアクシデントに遭遇するなか、私たちは身を護るための知恵として我流で「よそゆきの自分」をかたちづくります。それと同時にじつは知らぬ間に「見失われた自分」や「隠された自分」などといった「本当の自分」がふたされていきます。
 その「本当の自分」がその存在に気付いてもらいたくて、「よそゆきの自分」に対してストライキを起こすとき、「生きづらさ」や自分に対する「面倒」な感じをもちます。
「よそゆきの自分」とはあなたが今、意識で思っている(感じている)「自分」です。ペルソナ(仮面)ともいいます。社会生活に適応させるために生成された、ひとつのロール(役割)です。それはふだん部屋でごろごろしているときも作動しています。
「見失われた自分」とは、置いてきぼりになった感情や思いや欲求です。
「隠された自分」とは、無防備であったがために傷を負った思いや欲求を、自ら包帯をぐるぐる巻きにしてガード、帳消しにしてしまった部分です。
 このふたつはどちらも「本当の自分」です。
 ところが普段意識されている「よそゆきの自分」があたかも本当の自分であるかのようにふるまっています。「見失われた自分」や「隠された自分」は、こころの奥深くでこうつぶやいています。
「おーい!そっちじゃない。こっちだよー。この“本当の欲求”を連れて行ってくれよー。これを使いこなしてくれないと、居心地悪いよー」(=見失われた自分)
ところが、あなたはその“本当の欲求”にしたがったら、何がしらかの点において都合が悪いということを、過去の時点で経験しているために、その“本当の欲求”をないがしろにして生きようとすることを当り前としてしまっています。
 するとまた「本当の自分」が叫びます。
「●年前の××の気持ちを、置いていかないでー。大事な忘れ物だよー。気づいてくれよー。この気持ちの切符を置いていくと、“自分らしく生きる”という名の列車に乗れないよー」(=隠された自分)
過去の時点においては、これらの自分をむげに放置しておくと、あなたがバランスを崩して生きにくくなる可能性があるため、よろいで身を固めて、「本当の自分」はうやむやなままにすませることが必要でした。これは私たちの脳に備わっている素晴らしい「ボディガード」システムです。
 ところがボディガードされて、されて、されて、されて、目の前が見えないぐらい包囲されて、その存在そのものがまるでなかったことにされそうなほどギューギューにガードされているとき「本当の自分」は、その存在に気づいてもらいたくて、あるいは「本当の自分」が求める生き方に取り組んでもらいたくて、ジタバタともがきはじめるわけです。
「おーい!本当の私は、ここにいますよーーーーーー」(=隠された自分)
こういった現象は、意識レベルでのあなたには「イライラ」などの感情面および身体症状の不調和として体験されます。ひとによっては、摂食障害やパニック障害、過度な何かへの依存症など、行動にでることもあるでしょう。
 ところがこんな風に「隠す」必要があったことや、「気付かないふりしてなかったことにすれば都合がよかったのだ」などとは、私たちはいっさい自覚できていません。たいがいはこの「本当の自分」は置いてきぼりにされたまま、私たちは生きていきます。
 (※)たいがい、というのは、あらゆることに対して明晰さを保つことを修行した高僧や、その無自覚な領域に自覚を向けていく心理のトレーニングをつんでいるひとは、その例にかぎらないからです。

 すべて無自覚に生じているから、私たちは「なんだかよくわからないけど、なんて生きづらいの」「自分という動物ほどややこしくて、やりにくいものはない」などと感じるわけです。

心理カウンセリングの現場において、表面的な「傷ついたことについて」語られることも大切ですが、あなたの感じている「生きづらさ」を変容させていくためには、この無自覚に深層心理に潜んでいる「本当の自分」の声にふれていくことがとても重要なのは、こういった背景からです。
 これを「カタルシス」および「浄化」「癒し」と一般的にいいます。
 そしてこの部分は、ひとりで取り組もうと思っても、なかなかできる領域ではありません。
 なぜならなんといっても自分では意識できない世界だからです。
 専門家(心理セラピスト)のサポートあるいは、あなたのまわりの親身に無条件の愛情を傾けてくれる誰かの存在なくして、その日頃から閉ざされたベールの世界が、表に姿を現すことはありません。
 「私は癒しが目的ではありません!自己実現させたいのです」
 そうおっしゃるかたであっても、誰もがこういった無自覚なボディガードシステムを抱えていることから、このプロセスは幾度となく経験することになることでしょう。この癒しを経験し、自分自身に対する受容をしっかりと経験したうえで、自己の成長と自己実現は彩られていきます。

「関係性」が命

「本当の自分」は他者との関係性を息を吸うように求めている

 2つめの理由は、これらの「本当の自分」は、他者との関係のなかで承認され、愛情を注がれることを求めている点です。
 ところが成長の過程において、家族環境や社会背景も手伝って、あなたが保護者的存在から、「どのように本当の自分の声を尊重するのか」、そのこころの向け方のお手本を声掛けとしてしめしてもらってきていないとすると、どんなに努力して、自分自身で自分のこころに愛情と受容をしめそうと思っても、なかなか易いことではありません。
 そうしたとき、ひとはどうするかというと、愛情を得られる対象を求めて動き回ります。
 それはときには家族かもしれないし、恋人かもしれないし、仕事相手かもしれません。
 ところが他者は自分と異なる世界観を持ち合わせています。豊かな家族や保護者からの愛情をかけてもらうなかで自己愛がしっかり成熟していない段階で、「私を、私の知っている価値観の尺度で愛してください」と、白馬の王子を求めるかのごとく他者や社会に期待し、待ち続けたとしても、自己が満たされるだけの安全な愛情をかたむけてくれることは、なかなかありません。心理学の一派である交流分析理論の言葉を借りるなら「過去と他人は変えられません」。(残念ながら)

 こうしたことを踏まえて……そのセラピーで「関係性」が意識されているかどうかは、大変重要なポイントです。

 クライアントが無自覚に抱えている「関係性」の問題を意識できている心理カウンセリングは、結果が違います。対話に深みが出て、心理カウンセリングそのものの質が高まります。そのかたのとても自然な変容を促し、社会活動を営みやすくし、「生きづらさ」からの解放を手に入れやすくさせます。

 家族、友達、仕事、コミュニティ……私たちは社会に生きる動物です。
あたかも空気を吸うように、他者からのフィードバックなしには、生きることはできません。
 それがたとえ、孤独にひきこもりという行為になって現れていたとしてもです。
ひきこもるというのは、相対的な行為です。“何か”から離れることを前提とします。当人はたとえ意識していなくても、そこには目に見えない対象が存在します。
このとき、目に見えない何かと、ひきこもる人との間には、ある“関係性”が生じています。そしてこの“関係性”こそが、そのひとを「生きづらい」と感じさせている、もうひとつの側面でもあるというわけです。
 それは、クライアントが心理セラピストと対峙した瞬間から立ち現れるものです。もちろんその「関係性」は一種類とは限りません。ときと状況に応じて、多様に展開されていきます。あるときは「母―子」関係かもしれませんし、あるときは「上司‐部下」関係かもしれません。またあるときは「恋人―恋人」関係かもしれません。たとえそのときにクライアントの口から語られているテーマがまったく異なった内容であったとしてもです! セラピストは、その流れを柔軟に感じ取りながら、心理カウンセリングの対話のなかに、その瞬間、現れた「関係性」を自覚しながら、とりあげていくとき、クライアントから語られる内容は自然と深まっていきます。なぜならその「関係性」こそが、クライアントにとって無自覚な深層心理による次元だからです!
 そして対話の深まりと同時にクライアントはわざわざ催眠誘導をかけられなくても、自然と変性意識状態に導かれ、ぽつぽつとその瞬間にそのひとにとって必要な“ふたをされた本当の自分”が顔をのぞかせることができるようになります。
 「隠せれた自分」や「見失われた自分」といった「本当の自分」と、「よそゆきの自分」「みせかけの自分」とが、違和感なく自然とほどよい関係を結び、統合された自己へと成長するには、こういった自然なプロセスが欠かせません。
 なぜなら、そのひとが無自覚に抱えている「関係性」の問題を度外視して、「大きな気づきや癒しを得られた!」と感じることができたとしても、それによる「変容」が社会活動にかえったとき自然な範囲でなければ、またさらに「生きづらさ」を増幅させてしまう危険があるからです。
 また、どんなに深いレベルでの癒しや満たされない部分の補完によって自分らしい道を見つけたとしても、社会コミュニティのなかでの在り方の折り合いがついていないかぎり、やっぱり「生きづらさ」はついてまわるからです。
 それに対して、心理セラピストが心理カウンセリングの対話のなかで顔をのぞかせるクライアントから発せられる「関係性」の“気”に着目し、そのひとをとりまく生きづらい要素を意識することで、クライアントは「生きづらい」自分をどのように社会のなかで融和させる落とし所とすればよいのかを自然とつかむことができるようになります。真の意味で「生きやすくなった」を感じていただくことができるわけです。
 fioreの心理カウンセリングは、こういった「関係性」を細やかに配慮していきます。
 それはときには
「あなたの話を聞いているとなぜだかわからないけど、私はむしょうにカユクなります。もしかして本心ではどんな別のことを思っているのですか?」

「ごめんなさい、急におなかがいたくなってきました。今あなたは冷静に話をしてくれているけれども、ふだんあなたも気が付いていないところで、どうにもならないおなかの痛みをどこかで感じずにいられないほど、何かにさいなまれるような気持ちでいるのではないでしょうか?」
などのコメントにかえてフィードバックします。
 これはどちらも、あなたが無自覚に社会とどのように向き合っているかを心理セラピストがあなたに代わって表しています。そして、この観点に照準をしぼりながら、話を展開していくとき、あなたが今このタイミングで進むとよい方向が自然と浮かび上がっていきます。
 あなたはそこでつかんだこと(注:“気づいた”だけではありません。“体得”していることを意図しています)を現実にもどって実践するとき、今までと同じように自然とふるまっているにもかかわらず、選択している行動が違ってきていることに気がつくでしょう。なぜなら「ものの見方が知らぬ間に変わっている」からです。こうしてあなたは「本当の自分」が求めている方向にきわめて自然な形で導かれ、気がつくと「生きづらさ」から自由になり、「本当の自分」と「よそゆきの自分」が統合された状態で、ちょうどいい塩梅のなかを進んでいくことができるようになっていきます。


幸せになる「境界線」

自分の問題と他者の問題とをごっちゃにして
ストレスをふくれあがらせているひとが多い

 勝間和代さんの著書『断る力』がベストセラーになりましたが、幸せな人には「境界線(バウンダリーズ)」という概念があります。
「境界線」とは、
自分のエリアの問題と他者のエリアの問題とを仕切るライン のことです。
 このラインが発達していないと、外部からやってくるあらゆる事象を、自分ごととごっちゃにして、不必要にタスクを背負いこむことになりかねません。
それは、現実的な仕事用レベルでもそうですが、精神的なストレスレベルにおいてもいうことができます。

 たとえば友達の「困った」に応じようと、親身に話を聞き、頼まれごとを引き受けるとしましょう。それがあなたにとって苦のない範囲のうちは問題ありません。けれども仮に少しでも、あなたにとって「本当は大事なこと」が後回しにされてしまっているとしたら、あなたは知らず知らずのうちにストレスを受けていることになります。それはすでにあなたのキャパオーバーの次元です。限界値をしっかりと設定してある時点で「ノー」をしめすことが大切です。
 「ノー」をいったら相手に嫌われると思う必要はありません。お互いに思いやりのある友達関係とはお互いの「境界線」を尊重しあいながら築いていくものだからです。
 また素の自分に戻った時、いつまでも友達の精神状態をかぶって自分もいっしょになって落ち込んだり、摩耗しすぎたりしたとするなら、それは精神的にも境界線をきっちり維持することができていないことを表しているでしょう。
 もちろんお友達のことを思いやって親身になればなるほど、いっしょにその気持ちを共有することはとても貴重なことでもあります。ですが、大切なことは、それが自己をしっかりと確立し、自己を保ったうえでのことなのかどうか、という点です。
「境界線」をもって生きるということは、「本当の自分」と「見せかけの自分」の両方をふくめて、「ありのままの自分」という器のシルエットをしっかりと自覚して生きるということにも通じます。
 fioreの心理カウンセリングは、自然な対話をくりかえすなかで、この「境界線」をじょじょに明確にしていくプロセスでもあります。

●現実レベル(ものごとのやりとり)
●精神レベル(相手の悩みを自分ごとのように抱え込みすぎること)
 この双方で「境界線」がしっかりとしているひとは、不必要に傷つくことがありません。とりわけ「他者によって傷つけられる」という現象から、自由になります。

 今、あなたが抱えている問題を、ちょっぴりふりかえってみてください。
その問題の源は、もともと“誰の”思いや言葉に通じているのでしょうか?
他者には、あなたには到底うかがいしることのできない、他者だけのいろいろな事情があります。生まれも育ちも、考え方も価値観も、異なる別の小宇宙です。そしてあなたも同様に大切な小宇宙のなかで生きています。お互いの小宇宙を尊重しあいながら、請け負える部分、請け負えない部分、そういったことを明確にしながらともに助け合い生きていくことが、「境界線」をもちながら社会でみなとともに生きるということになります。

この「境界線」のあるひとは、自由と自己責任のもとに生きることになるため、「境界線」のないひとにくらべて、幸せを感じる割合がグンと高いのです。
 もしもあなたが今「生きづらさ」を感じているのだとすれば、この「境界線」が不明瞭になっていることが、多いに関係しています。
 fioreの心理カウンセリングを通じて、「本当の自分」を見つけて、「ありのままの自分」を自由に生きられるようになる、この「境界線」ある生き方をいっしょに体現していきませんか?